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更新日2019.12.17

mission4「祭りをリサーチせよ」

今年も、もうすぐ12月が終わろうとしている。
そんな時にとある保育園から、太鼓の音と掛け声が聞こえてきた。

「ヨイトショー、ヨイトショー、デンデコデン デンデンデコデンデンデコデン ソレ」

「な、なに、何の掛け声」

そんなことを思いながら事務所に帰ると、4つめのミッションのお知らせが来ていた。
今度はお祭りの調査らしい。

さっきの音も関係があるよう。
「保育園の人に聞いたんですけど、どうやら保育園児も発表会で、祭りにたたく太鼓の披露するらしくって、その練習だったみたいですよ」

「どうやらここは、祭りの英才教育が盛んみたい。英語でもなく、プログラミングでもない。まずは祭りってわけね」

「こないだネットカフェ行って、昔の週刊誌みてたら、あばれ祭って乗っていたわね、あれって確か能登町内のお祭りよね、インスタ映えする祭りって書いてあったわ」

「それなら、知ってますよ。能登町と言えば祭り。代表的な祭りが、週刊誌にもドーンと掲載されていたあばれ祭なんですよ」

「もっと詳しく調べて報告しますね」

各地で祭りが開催される夏の能登半島。 その先陣を切る「あばれ祭り」は、最も勇壮な祭りとして知られている。このあばれ祭の祭神「須佐之男命(すさのおのみこと)」は 荒ぶる神様なので、あばれないとかえって神の怒りにふれるとさえ言われて大暴れするほど神様が喜ぶとされている。だから、当日は高さ7mもある約40基のキリコと2基の神輿が激しく暴れまわる。見どころは、初日の「大松明乱舞」と2日目の「あばれ神輿」。大松明乱舞は、集結した40基のキリコが、太鼓や鉦を鳴らしながら、大松明の周りを火の粉を浴びながら乱舞し、あばれ神輿は、2基の神輿が八坂神社を目指す道中、橋に叩きつけられたり、海に投げ込まれたり、松明の火の中に投じられたりと、原型が無くなるまで、徹底的に壊される。2日間に渡り、深夜まで開催されるこの祭りの迫力に多くの人々が魅了されている。

日本遺産にもなっている能登のキリコ祭り。この”キリコ(切籠)”とは切子燈篭(きりことうろう)を縮めた呼称で、 奥能登に発祥している。夏頃になれば、毎週どこかの町内で祭りが行われているほど、祭り中心の町だ。

「盆や正月は帰らなくても、お祭りの日は帰ってくるって人が多いみたいですよ」

「へぇ、能登町にとって祭りってすごく大切なのね。ちなみに九十九湾周辺の祭りってどんなのあるの」

「まずは春祭り、毎年5月2日・3日は小木でとも旗祭りがあります」
「それもキリコ?」
「これはキリコじゃないんですけど、漁師町ならではの祭りなんです。漁業の町・小木の住民が操業の安全と豊漁を祈る祭りなんです」

さかのぼること今から2~300年前、江戸中期から明治初期頃まで全盛を迎えていた北前船が祭りを祝うため、船の艫(とも、いわゆる船尾のこと)に船名を書いた旗を立てていたのをまねて、小舟の中央に船名を書いた旗を立てたのが起源。明治中期、子供等が大漁と安全を祈願し、紙で継いだ小さな旗に船名を書きそれを伝馬船(本船と岸の間を往来して荷物や人を運ぶための小船)に立てて遊んでいたのが、のちに祭となったらしい。でもこれも所説はあるようだけど。

「小木港を5色の吹き流しと大のぼり、大漁旗を揚げた9隻の船が鐘や太鼓を打ち鳴らし、湾内せましとかけめぐるんです。去年ちょうど見る機会あったんですけど、そのとも旗、高さ20mくらいもあるんですけど、とにかく迫力あります。さらに、9隻連なる姿は圧巻です」
 

「そして、9月3日・4日は越坂で袖キリコ祭り、9月の6、7日に近い土日は市之瀬できりこ祭り、9月第三土曜・日曜は小木で袖キリコ祭りが行われてます、各地域毎にキリコが異なるんです」


「袖キリコってなーに」

「奴凧を思わせる大きな行灯(あんどん)を袖キリコって呼んでます」
「なんか、ねぶたっぽいわね」

「一説によるとねぶたの流れを組んでるかもしれないんです」
「小木は昔から海で開けていて、函館や八戸とつながりがあったから、文化もお互いに影響しあってるかもしれないわね」

「そうなんです、こうやって祭り一つとっても、遠い他の地域との交流があったことがわかります、古くから開けていた町と言えますね。人が集まる場所、人と交流する場所、この地域には、イカの駅ができるはるか昔から、こうした動きがあったんですね」

「そして、今こうしてイカの駅ができ、いろいろな地域から人々が集ってくる。そして新たな文化が生まれる」

祭りを調査した結果、九十九湾の可能性がまた一つ広がった気がする。

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